初出・大正14年4月 雑誌『新青年』
初刊・大正14年7月 創作探偵小説集1『心理試験』春陽堂
夢幻的で異様な雰囲気を醸し出すようにしつらえた赤い部屋の中で、異常な興奮を求める人々の集会がある。その席上、人生に退屈し切った男の、安全で非情な殺人体験が無気味な迫力をもって物語られてゆき、もっとも効果的な機智で終末を告げる。
この名作ミステリー「赤い部屋」をもとに、柳家喬太郎が、落語版「赤いへや」を作り上げた。「欠伸指南」を思わせる導入、「人生に退屈し果てた落語家」を語り手にする設定、そして思わず背筋がゾクリとする語り口など、柳家喬太郎アナザーサイドの極みへ。
─── 講談社刊『江戸川乱歩全集1屋根裏の散歩者』ほか ───
本名・平井太郎/推理作家/三重県出身/早稲田大学卒
明治27年10月21日生まれ昭和40年7月28日没
大正14年に処女短編集「心理試験」を刊行し、横溝正史らと『探偵趣味』創刊。以後、探偵作家として活躍し、怪奇な謎、科学的推理による本格推理小説の分野を開拓し、名探偵明智小五郎の生みの親として知られた。
ペンネームは米国の作家エドガー・アラン・ポーに由来する。昭和22年日本探偵作家クラブ創立、初代会長に就任。昭和38年同クラブ、推理作家協会に改組。初代理事長に就任。昭和40年死去。
─── 日外アソシエーツ刊『新訂作家・小説家人名事典』より ───
源氏物語は、1000年前後に成立した長編小説。大きく3部に分かれ、全54帖からなる。壮大な構想のもと「もののあはれ」を基調に人間の真実を見据えており、文学史の中で特筆すべき地位を占めている。
後世への影響は計り知れないほど大きく、小説・和歌・謡曲・戯曲とあらゆる分野の文芸に及ぶ「源氏もの」をうんでいる。KAAT式らくごの会では柳家喬太郎が空蝉のくだりを語る。舞台は現代、大学生の光源氏が巻き起こすラブアフェア。
─── 日外アソシエーツ刊『読書案内 日本の作家 伝記と作品 新訂版』ほか抜粋 ───
天延元(973)生まれ長和3(1014)頃没
『源氏物語』の作者。学者で漢詩人の父に育てられ、当時の女性としては珍しく漢詩文の素養を身につけた。
山城守藤原宣孝と結婚するが、間もなく死別。その後『源氏物語』を書きはじめ、それが評判となり30歳前後で藤原道長の娘中宮彰子に出仕、執筆を続けた。
また『後拾遺和歌集』『玉葉集』などに歌が集録されているほか『源氏物語』作中に登場する歌は後世盛んに本歌取りされ、和歌史上においても独自の位置を占めている。
─── 日外アソシエーツ刊『読書案内 日本の作家 伝記と作品 新訂版』より ───
この作品は、寄席文化研究家で落語家の桂米朝の師として知られる正岡容が、上方落語復興のために昭和20年代後半から30年代初め頃に書いたとみられる新作落語で、平成23年6月に兵庫県尼崎市の米朝宅で見つかった正岡の直筆原稿のひとつ。
当時、ラジオ放送用の落語台本として書かれたと思われるが放送された形跡はなく、米朝が高座で演じたこともないため今回原稿が見つかるまでは、その存在すら知られていなかった。「淀の鯉」は同時期に見つかった放送台本であり、桂米朝(筆名:中川清)の作に正岡容が加筆したもの。
KAAT式らくごの会の高座では、上方落語界のホープ桂吉坊がこの幻の作品に息を吹き込む。
─── 毎日新聞 2011年7月13日 東京夕刊記事ほか ───
旧姓名・平井蓉/小説家、演芸評論家/東京都出身/日本大学芸術学科中退
明治37年12月20日生まれ昭和33年12月7日没
東京神田に軍医の子として生まれ、のち正岡家の養子となる。
大正11年、数えの19歳で歌集『新堀端』を刊行。翌年には文藝春秋に掲載された黄表紙風の小説「江戸再来記」が芥川龍之介から賞賛されて自信を得る。14年、岩佐東一郎らと『開花草紙』を刊行。
以後、酒にひたり女性遍歴を重ねながらも小説、落語、浪曲の台本、評論を書き続けた。太平洋戦争中から書きはじめた演芸に関する随筆・評論で戦後はその方面の権威者となった。東宝名人会顧問。
また『寄席風俗』『日本浪曲史』、小説『円朝』『寄席』、随筆『百花園』など数多くの著書があり、小沢昭一、桂米朝ら門弟の多いことでも知られた。
─── 日外アソシエーツ刊『新訂作家・小説家人名事典』より ───